特集「わたしのGOOD EAT」では、この世にあまた存在する美味しいものたちを「美食」という枠に閉じ込めずに、一人ひとりの「愛」という軸で語ってもらう企画です。今回は、食の文筆家として活動しているマッキー牧元さんに愛すべき食についてお話を伺いました。
「マッキー牧元さん、あなたにとってのGOOD EATは、なんですか?」「年間700回、仕事のために外食をしています」と言うと、必ず聞かれることがある。
「一番好きなものはなんですか?」
この質問は困る。なぜなら世の中の食事や食材は、好物ばかりで選べないからである。「なんでも好きなので、特にはありません」と、無難に返すが、実は好きなものがある。
それは「人」である。
様々な美味しいものを創造する人に出会いたい。その方の考えと生き方に触れたい。その強い気持ちが、僕を外食に走らせている。

三田「コートドール」の斉須政雄シェフに、スペシャリテの「冷製季節野菜の煮込み コリアンダー風味」について聞いたことがある。
もう40年間、6千回以上は作られているだろうから、目を閉じても出来るのではないか。そう思って聞いたところ、彼はこう言った。
「味見をして、ああ今日もおいしくできたと安堵します。でも、次もまたうまくできるだろうかと不安になって、この感触を忘れないうちにもう一度作りたくなるんです」

「すきやばし次郎」の小野二郎さんからは、こんな話を聞いたことがある。
「この間、夢を見たんですよ。イカの切り方を変えれば、もっとおいしくなるんじゃないかってね」
95歳を過ぎてもまだ現状に満足せず、より良い方法を探す。職人とは、それほど厳しいものなのか。

ある時は「ラ・ブランシュ」の田代シェフに、スペシャリテの「イワシとジャガイモの重ね焼き」について聞いてみた。
35年間メニューに載せ、作り置きが効かないので、毎日シェフ自らが時間をかけて作っている料理である。
「夏の時期が一番苦しい。なぜならイワシがおいしいから。脂がのって力強いイワシに対して、どのジャガイモと合わせてバランスを取るか、毎年苦しむんです。でもこの苦しみがあったからこそ、35年間続けられた。そう思うんです」

和歌山で300余年続く、醤油と味噌作りの「堀河屋野村」を引き継いだ18代目の野村圭祐さん。丸大豆ではない、搾りかすを使った醤油が8割を超す日本で、唯一と言っていい古式醤油「三ツ星醤油」を作り続けている。
「父は天才肌で感性の人だが、僕はまったく正反対なんです。だから天才とは違う、自分ができる醤油を生み出したい」
父に、常連のお客様に、使ってくれる料理人に、大豆の生産者や従業員に感謝しながら、今がある。言葉には、天才を受け継ぐ者の、並々ならぬ覚悟が滲み出ていていた。
その思いが、「三ツ星醤油」の丸く深い味わいとして醸し出されているのかもしれない。そう思うと、この醤油を醤油皿に垂らすたびに、感謝がにじむ。

静岡の鰻屋「瞬」の岡田健一さんは、関西風でも関東風でもない「静岡焼き」を志し、人気を得ている方である。
ご自身が理想とする「静岡焼き」に、どれくらい近づけたと思われますか? 即答だった。
「とんでもないです。毎日が怖くて、怖くて、恐怖の連続です」
16歳から30年間、うなぎを捌き、串打ちし、焼いてきた彼がそう答えたのである。
優れた料理や食材を生み出す人たちは、みな似たような職人の資質を持っている。毎日毎日の仕事に明確な理想を抱きながら、微塵の緩みもなきようこまめに点検する。
自分に妥協せず、精緻な仕事を目指す。その結実として、多くの人に認められながらも、決して現状に満足することはない。常にもっとおいしくなる方法はないかともがき続ける。
僕はそんな方々が作った食材や調味料、料理をいただくたびに、彼らの言葉を噛みしめる。同じ人間として、人間力が持つ可能性の無限を感じて、涙が出そうになる。
これこそが僕の愛する食、GOOD EATであり、食べ続けることがやめられない理由なのである。
